■「村上春樹風」の文章を当たり前のように出力する
私が参加しているとあるグループチャットでは「●●風(任意の作家やライターを挿入)の文体で**についての社会評論を書いてください」といったプロンプトでo1(※ChatGPTで知られるOpenAIが開発したAI)により出力された文章をそのまま貼り付けて遊んでいる人がいる。
もうすでに相当にそのレベルは高く、破綻のない文章を当たり前のように仕上げてくる。たとえば「村上春樹風」なら本当に村上春樹が書いているように見える。しかもそれは単純に文体を似せているだけではない。作家それぞれが持っているであろう考え方や発想の「角度」まで相当に酷似しているのだ。
こうした光景を目の当たりにすると、「ライティング」の仕事はいったいいつまで存在するのだろうかと思わずにはいられない。
■「文章」はいつまで仕事だろうか
幸いにも私はいまはまだこうしてプレジデントオンラインのための原稿を書いているのだが、今後おそらく、どこかの出版社がAIによってそれっぽい文章を書かせて、編集者がそれにちょっと手を入れてリリース――といったワークフローを打ち出してくるだろう。書籍よりまずは雑誌やウェブメディアからはじめるのがボリューム的にも丁度良いかもしれない。
話のフォーマットが決まっている「こたつ記事」はいまの水準のAIでも十分なクオリティのものが出せる。たとえば、さまざまな雑誌でよく見かける「タワマン悲喜劇」的な記事はほとんど内容的なフォーマットが決まっている(憧れのタワマンを購入したパワーカップルのトラブルや転落を面白おかしく書くとPVが大きく伸びる)。書き手がAIであることを伏してしまえば、一般読者はそれがAIによって紡がれた文章であることを見抜くことは容易ではない。
■人間の知的能力はAIの大幅な劣化版になる
「現在の事業はだいたい3000人で運営している。非常にモデスト(謙虚)な目標だが、これを半分にする。半分で現業を成長させながら、残りのもう半分で新規事業をやっていく。DeNAはAIにオールインする」──DeNAの南場智子代表取締役会長は、同社が2月5日に開催したAIイベント「DeNA×AI Day」の基調講演で、今後の事業方針についてこう語った。
南場会長は生成AIによる効率化によって、現業の維持・成長に必要なホワイトカラー人員を削減。浮いた人的リソースで、アプリレイヤーの生成AIサービスを新たに手掛ける方針を示した。
ITmedia「DeNA南場会長『現在の事業、人員は半分に』 “AIにオールイン”の意思表明 もう半分を新規事業へ」(2025年2月5日)より引用
AIは人間の知性全体を陳腐化させる方向に進んでいる。人間の「頭の良さ(頭の回転)」を使った仕事はどんどん失われていくことになる。たいていの人間よりも知性がすぐれ、計算がはやく、そしてなにより眠らずに延々と仕事を続けることができるという点では、人間の知的能力(知的処理能力)は早晩AIの下位互換……どころか大幅な劣化版になる。OpenAIがリリースした最新のAIモデル「o1」は、今年行われた共通テストにおいて91%の得点を記録した。
■AIには老化も過労もなければ寿命もない
人間の知的能力や知的探求の伸び代が頭打ちになってきているのは、純粋な脳の性能の問題というより、「時間(生物的寿命)」の側面も大きいことは付言しておきたい。たとえば数学をはじめとする自然科学の研究は、今日にいたるまでの膨大な先行知識をいち個人にインプットさせるだけでも途方もない時間的コストがかかる。それは言い換えれば、有限の時間を生きる人間がきちんと下準備を整えたうえで「その先」を想像(創造)するための猶予期間が相対的に短いこと意味する。
人間の寿命がもしエルフのように何百年もあるのなら、数学や物理学はもっと卓越するかもしれない。だが現実はそうではない。非凡なポテンシャルを持つ人がようやく斬新なことを考えられる程度の下地が固まったころになると、その人の人生はもう折り返し地点を迎えていて、心身ともに充実したコンディションを保った熟達した研究者として活躍できる期間は(睡眠時間とか食事の時間とかを抜きにして考えても)長くても20年くらいになる。ろくな教育を受けなかった基礎を知らない型破りの天才が世紀の大発見をする――という物語を好む人は多いが、現実世界ではそのような余地はほぼ残されていない。
それに比べてAIは老化も過労もない。風邪もひかないし眠くもならない。食事も風呂もいらない。ひげを剃ったり通勤したりもしない。やる気のある日とない日のムラもない。つねにエネルギッシュで充実したコンディションを24時間365日稼働することができる。基礎を学ぶための時間も人間とは比較にならないほど早い。数学でいえば、望月新一やラマヌジャンのような異次元の奇才はまだないかもしれないが、しかし彼らと違ってAIは不死でもある。
■「シートベルトを締めろ」
GoogleのAI事業の責任者のひとり、ローガン・キルパトリックはXで以下のように述べている。
人間の知性の価値がゼロに向かっていることをいまのあなたが想定していないなら、今後3~5年はあなたの仕事や人生にとって信じられないほど破壊的なものになる。
「人間の知性の価値がゼロに向かっている」というのは、なにも大袈裟な表現ではない。イラストや翻訳や文章やプログラミングといったジャンルでいま起こっていることは対岸の火事ではなく、同じようなことが(人間の知性がかかわっている)ありとあらゆる領域・業界で起こる。
人間の「頭の良さ」「お勉強の出来」が、必ずしも社会経済的地位や稼得能力とは結びつかなくなる、そういう時代がやってくる。それはおそらく私たちが生きている間に起こる。早ければ2020年代のうちに起こるが、私はもう驚かない。
ではそんな大転換の時代においてもなお人間の「価値」が見出されるとすれば、それはいったい何なのかという話になる。
私はそれを「フィジカル」だと思っている。
■人間は「筋肉の時代」に戻ってくる
人間はとても久しぶりに「筋肉の時代」に戻ってくる。
冗談で言っているわけではない。AIがどれだけ発展しても、老朽化したインフラを直すのは人間の仕事だ。単純な荷物の運搬ならロボットがやってくれるかもしれないが、道路や水道といった土木・建設の領域などはまだまだ人間の力量に依存するところが大きい。人間の生活の基本的なインフラに従事できるその肉体的な強靭性が、人間にとってもっとも優位な「価値」基準として復権してくる。もうすでに社会はそのような「兆し」を示しはじめている。企業において事務職の領域にはどんどんAIを駆使したサービスが人間を代替しはじめていて、「人余り」に拍車がかかっている。他方で製造業や建設業の現場には高い労働需要がある。
もちろん、インフラ保守や製造の現場にだってこれからは高性能なロボットがどんどん進出してくるに違いない。人間型のロボットも登場して、人間と同じような高所での足場や鳶のような仕事を請け負ってくれる日がくるかもしれない。だが、ロボットはAIとは違って実物であるがゆえに「老い」や「疲労」に相当するステータスがある。経年劣化や故障がつきものになる。こうした繊細かつ過酷な場所での高負荷な作業が必要な仕事は、今後しばらくは人間の領域であり続けるだろう。
■「とりあえず勉強、とりあえず大学」のリスク
心配なのは、いま小学生~高校生の子育てをしている人びとだ。
とりあえず塾に入れて、とりあえず大学に行かせておけばよいというルートを選んで、善かれと思って子どもを「お勉強エリート」にしたはよいものの、かれらが世の中に出るころには、先述したように人間の知性の価値が暴落していて、「AIの劣化版」くらいの残念な評価しか受けられない可能性がどんどん高くなっている。
文系を目指す場合はなおさらだ。かれらのほとんどは卒業後には事務系の職種を志望することになるわけだが、先述したとおり事務職はもうすでに顕著な「人余り」になっている。今後さらにこの傾向は加速する。事務系の仕事はAIやAIを併用した外部サービスがどんどん代替していく流れは今後も変わらないからだ。
逆に子どもを「非お勉強エリート」的な方向性、語弊をおそれず言ってしまえば「ヤンキー」的なコースで育ててフィジカル的な仕事に就かせる人びとのほうが、結果的に梯子を外されずに生き残る可能性が出てきている。私は周囲の幼い子を持つ子育て世帯には「とりあえず進学・とりあえず高学歴を目指すな」と忠告している。令和生まれの子どもたちが大人になるころには、AIはいまとは比べ物にならないくらい賢く創造的になっていることは目に見えているからだ。
■「破壊的」な変化がやってくる
むろんAIと同じ土俵で勝負しても「勝てる」くらいの奇才はゼロではないだろう。だが、小さいころから塾に行ってがり勉にがり勉を重ねてようやく東大に合格するくらいの知性ならまず勝てない。それをするくらいなら、フィジカルの性能向上のための時間とリソースを投じてあげたほうがマシだ。
AIはおそらく私たちの文明を見たこともない場所に連れて行ってくれるだろう。だがその旅では、私たちの「知性」が社会経済的にプレゼンスを失うことが路銀代わりになる。
ただなんとなく、抽象的な記号をやりとりする「頭をつかってやる仕事」がずっとこれからも人間の仕事の主流のままだと想定していると、それはたしかに「破壊的」な変化になることは請け合いだ。
筋肉の時代が到来する。
シートベルトを締めろ。
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文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。
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