発売日前日にメタスコア62点と聞いたときは耳を疑いました。しかしながらそのあと本作を購入して実際に遊んでみた “いちユーザー” の立場から正直に言うと、じつはちょっとわかる。
でも、それでも、筆者は『野狗子』が好きです。本作は外山さん率いる「ボーカゲームスタジオ」だからこそ作れるゲームであることは間違いありません。つい人に言いたくなってしまうおもしろいところがいくつもありました。
・まず倫理観がなさすぎる
・ムービーもモブで展開される
・生活感にやたら力が入っている など
そこで本稿では、筆者に刺さったお気に入りポイントを紹介させていただきます。筆者にとっては好きな要素が詰まっていました。
メタスコアが低いとそれだけで「じゃあやらなくていいや」となりがちだと思いますが、しかしその判断をされる前に、おもしろいところもいったん見てほしい。筆者と同じような趣向をお持ちの方には刺さるところがあるはずです。
コンパクトにまとめているので少しだけお時間をいただけないでしょうか。
『野狗子: Slitterhead』の読み方:
・野狗子 → やくし
・Slitterhead → スリッターヘッド
文・絵/柳本マリエ
『野狗子: Slitterhead』公式サイトはこちら『野狗子: Slitterhead』Steamページはこちら
“命の使い捨て” をチュートリアルで覚えさせられる
最初に本作の特徴や舞台について説明させてください。本作は、連続変死事件が発生しているネオン街「九龍」で記憶と肉体を失った精神生命体「憑鬼(ひょうき)」が目覚めるところから始まります。
憑鬼は犬や人間などの生物に「憑依」することでその身体を操ることができるようになり、いくつもの身体に乗り移るうちに「野狗子を排除する」という目的を思い出しました。
野狗子は人間に擬態する怪物。九龍で発生している連続変死事件の犯人である可能性が高く、憑鬼は野狗子の殲滅を目指します。
しかしながら、一般市民に憑依して戦っても彼らは普通の「おじさん」や「おばさん」なのでなかなか野狗子を倒すことができません。ところがごく稀に、やたら身体能力が高く憑鬼と共鳴する身体を持つ人間「稀少体」と出会うことがあります。
つまり、一般市民を身代わりなどにして命を使い捨てながら戦う → ここぞというときに稀少体の身体能力を使って攻撃する → 野狗子を片っ端から倒していく。これが本作の流れです。これまでの人生で培ってきた倫理観がまるで役に立ちません。
なかでも筆者の心に刺さったのは、序盤に出てくる移動についてのチュートリアル。屋上から地上まで一瞬で移動する方法として「このまま飛び降りたらこの身体はダメージを受けて死ぬから落下中に地上にいる別の人間に憑依しろ」と、“命の使い捨て” を指示されます。
「その方法、見直したほうがいいのでは?」と思ったものの、そこまで言うならやってみましょう。
これ、実際に自分で操作するとけっこうエグいです。命の使い捨てをチュートリアルで覚えさせられるのか、と。
何回か実験してみたところうつ伏せで死ぬパターンと仰向けで死ぬパターンがあるよう
また、群衆のなかに人間がボトッと落ちてくる描写がなんとなく黒沢清監督の映画【※】っぽくて個人的にかなりお気に入りポイントでした。即死せず苦しんで死亡するところも見どころ。
適当に憑依したモブがムービーシーンにも反映
このように本作は、周りにいる一般市民に憑依しながら進行していきます。しかしながらストーリーにおいて鍵を握っているのは憑鬼と共鳴する身体を持つ「稀少体」と呼ばれる数名のキャラクターたち。
ストーリーが進むにつれて彼らの生い立ちなどが明かされていきます。そのためプレイヤーにとっては下記のように分類されるでしょう。
稀少体:知っている人たち
一般市民:知らない人たち
ところが、本作はいろんな人に憑依してなんぼ。ボスのいる建物に侵入するのも、ボスに最後の一撃を与えるのも「適当に憑依した一般市民」の場合があります。
たとえば下記をご覧ください。適当に憑依しながらボスがいる部屋に入ったためパジャマ姿の知らないおばさんが主人公ポジションでシリアスな表情をしています。
このように “そのとき憑依していた身体” でムービーが始まるため、絵面が非常におもしろい。
「主人公ポジションに知らない人がいる」というだけでこんなにおもしろいとは。こうなると、身体能力が高い稀少体の命を使い捨てながら戦いつつ、ここぞというときに一般市民を使って野狗子を倒したくなる、という逆の欲求に駆られてしまいます。
しかしながら終盤になると、(ストーリーの都合上)一般市民でフィニッシュしてもそのあとのムービーは稀少体で進行される場合が多く、そこは少し残念に思ったところでした。
“ソロだけどマルチ” みたいな新感覚の憑依バトル
さて、ここからは戦闘についても紹介させてください。先に結論を書いておくと、おもしろかったです。というのも、戦略を変えられる余地がけっこうありました。人によって戦い方に個性が出そう。
基本的には、稀少体と一般市民の身体に乗り移りながら「数」で野狗子に対抗します。残機制で3回死んでしまうとゲームオーバーになりますが、死ぬ前に別の身体に乗り移ればセーフ(残機は減らない)。そのため思いのほか粘れます。
たとえば「一般市民に憑依して敵を引きつけたあと瞬時に敵の背後にいる稀少体に乗り移ってうしろから攻撃する」みたいに敵を陽動することも可能。“ソロだけどマルチ” みたいな感覚で戦えます。
『モンスターハンター』でもマルチプレイで複数人いたほうが敵の注意を分散させやすいじゃないですか。憑依を使えば「自分が狙われたら別の人に憑依してノーマーク状態から攻撃する」みたいなことが可能です。
また、戦闘中に特定の条件で発動できる「タイムボム」が、まさに “命の使い捨て” でした。
<タイムボム>
・宿主に血の時限爆弾を仕掛ける
・一定時間で爆発し、周囲にダメージを与える
・使用者は死亡する(稀少体の場合は瀕死)
つまり、自爆です。一般市民に憑依してタイムボムを発動 → 爆発する前に別の人間に憑依 → 発動時の宿主が爆発(死亡)という、あまりにも人の心がなさすぎる攻撃方法。
爆発する前(死ぬ前)に別の人に憑依すれば残機は減らないのでわりと気軽に自爆できます。
上記のタイムボムをはじめ稀少体には固有のスキルがあり、たとえば稀少体「アニタ」の固有スキル「マインドハック」を使えば周りにいる一般市民を集団で操って攻撃させることも可能。
ちなみに武器は、憑依した人間の血を消費して生成する「凝血武器」。一般市民の場合は「こん棒」のような殴打用の武器、稀少体には「爪」「刃」「杖」などそれぞれ固有の凝血武器があります。憑依するだけで自動的に生成されるため、わざわざ装備する必要などはありません。
そのほか細かいところだと、戦闘で失った血液(HP)は「血だまりから血を吸い上げる」ことで回復します。戦闘中はそこらじゅうに血だまりができるため、こまめに回復できるところもよかったです。回復アイテムを使うとなると残数を気にして使うのを躊躇してしまいがちなのでありがたい。
このように、戦闘は戦略でいかようにもなるところがユニークでおもしろかったです。
生活感マニアに刺さる “汚さ” が丁寧に作り込まれている
人それぞれ「ゲームに求めるもの」は異なるかと思いますが、筆者がゲームに求めるもののひとつは “生活感” です。剥がれた壁紙、錆びた水回り、散乱した部屋などを見るとそこで生活を営む人たちの背景を想像せずにはいられません。
筆者がいかに生活感を重要視しているかどうかは、過去に掲載している『シェンムー 一章 横須賀』の記事にてご理解いただけるかと思います。
本作においてもぶっ刺さる生活感がいくつもあったので紹介させてください。
ダンボールの汚れや分別されてなさそうなゴミ袋
「ダンボール」や「ゴミ袋」はもはやそれだけで生活感が出るので、生活感マニアにとっては “そこにあるだけでうれしいアイテム” のひとつ。そのうえでこの画像をご覧ください。
汚い……(うっとりした目)。
まずはダンボールから。砂ぼこりっぽい汚れがたまりません。縦のラインが浮き出てしまっているところがいいですね。置かれてからけっこうな年月が経っていることがうかがえます。
そしてゴミ袋については、まずパンパンに入っているところがいい。硬そうなものが入っていそうですが、分別はちゃんとされているのでしょうか。九龍の分別事情が気になるところです。
何度も剥がされたであろう張り紙の跡
つづいては売店を見てみましょう。生活用品が並んでいると生活感を得られやすいですが、筆者が刺さったのはポスターや張り紙を「剥がした跡」の汚さでした。
この売店はおそらく長いことここで営業しているのでしょう。以前は別のポスターや張り紙が貼られていたと思うと込みあげるものがあります。
この売店以外にも街の外壁や室内の掲示板など、あらゆるところに「なにかを剥がした跡」が残されていました。そういうものがあることで街が生きていることをちゃんと感じられます。
右と左で “向き” が異なるタオルの置き方
これは上記ふたつのような汚れとは少し異なるタイプの生活感なのですが、本作で筆者がいちばん感動したのは「タオルの向き」でした。畳まれて置かれたタオルの向きが、右と左で違っています。
表現が細かすぎない!?!?!?
たとえば「散乱した部屋」ってわかりやすく生活感を得られると思うんです。だけどタオルの向きは、変えてもパッと見で気づかない。しかしながら、そこにはたしかに生活感があります。
タオルが置かれている場所は新興宗教団体が共同生活をしているスペースなので、おそらく人によって置き方が変わってしまうのでしょう。
本作ではこのような演出が多く、胸が高まりました。これらは間違いなく生活感に説得力を与えていると思います。
以上が本作における筆者のお気に入りポイントでした。やっぱり筆者は『野狗子』が好きです。
「命を使い捨てる」という発想は独創的で、もうその時点でけっこう好き。くわえて、憑依しながら戦う戦闘はソロなのにマルチみたいな新感覚のおもしろさがありました。
また、特定の条件で野狗子の視界を盗み見る「サイトジャック」が使えるようになります。これはもう完全に『SIREN』の「視界ジャック」でした。人間に擬態した野狗子は外見では判断できないため、サイトジャックを使い野狗子の視界を盗み見ることで居場所を特定します。
まさに外山さん率いるボーカゲームスタジオだからこそ作れるゲームではないでしょうか。
どんなに優れたゲームでも「ここはめんどう」「ここはおもしろい」など、いろんな感情のうえで成り立っていると思います。
たとえば本作でいうと、逃げ回る野狗子を追いかける状況が繰り返し出てくるため「そろそろ落ち着いて~~~」と思ったことは事実。しかしそれはそれとして、本作は筆者にとって好きな要素が詰まっていました。だから『野狗子』が好き。筆者と同じような趣向をお持ちの方には刺さるところがあるはずです。
これまで培ってきた倫理観がまるで役に立たないので、「その体験を味わってほしい」という気持ち。そう思ってこの記事を書きました。『野狗子』の魅力が伝わってほしいです。
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