ピックアップ記事

 

 俳優の松本若菜がきょう2月25日、41歳の誕生日を迎えた。昨年(2024年)は1年の4クールすべてで民放のゴールデンタイムの連続ドラマに出演、後半の2作『西園寺さんは家事をしない』『わたしの宝物』では立て続けに主演を務めた。映画でも昨年暮れより大ヒット上映中の『はたらく細胞』に続き、この年明けには時代劇『室町無頼』と出演作があいついで公開されている。

まさに乗りに乗っている松本だが、現在の大ブレイクの発端は、いまから3年前の2022年、ドラマ『やんごとなき一族』で土屋太鳳演じるヒロインの意地悪な義兄嫁役を怪演したことにさかのぼる。それ以来、クセの強い役を演じては話題を呼んできた。

そんななか一昨年には、松本は初の著書となるフォトエッセイ集『松の素』(KADOKAWA)を刊行した。同書には、彼女のオンとオフ両方のイメージで撮った写真とともに趣味などについてもつづられており、その素顔が垣間見える。

松本はこのフォトブックに本気で遊ぼうと思って取り組んだといい、おかげで一般的な女優の本とは一味違ったものになっている。とくにそれを感じさせるのは、松本がいままでに演じたことのない人々に扮して架空のインタビューに応えるという企画だ。そこで彼女は、大工やアイドルグループのリーダーに男装してなりきっているほか、ベテラン演歌歌手、動物園の飼育員、果てはその飼育員が担当するパンダ(!)にまで扮し、ドラマや映画でのクールなイメージを覆される。

髪を刈り上げようとし、周囲に止められ…

どうやら彼女はなかなかのチャレンジャーらしい。ドラマ『ミステリと言う勿れ』(2022年)で猫田十朱という刑事を演じたときも、原作コミックの猫田と同じく髪を刈り上げようとして、周囲から絶対にダメだと止められ、結局、折衷案でショートボブにしたという。

この話は先のフォトブックの一企画「松本若菜レキシ」で明かされた。そこで松本は幼少期から現在までの自身の歩みをコメント形式で振り返っている。これを見ると、彼女はかなり波瀾万丈の人生を送ってきたようだ。たとえば、子供のときから誕生日や七五三、入園式の前後には必ずといっていいほど、おたふく風邪水疱瘡などの病気にかかっており、20歳の誕生日も盲腸で入院中のため病室の天井を見ながら迎えたという。

地元・鳥取で大物俳優からスカウト

20歳になった頃にはある悩みを抱えていた。これは本人がさまざまなメディアで繰り返し語っていることだが、その数年前、高校1年生だった松本は、地元・鳥取の米子へ俳優の奈美悦子が撮影で来ていると聞き、探して握手をしてもらったところ、あとから逆に奈美と事務所の社長が探しに来てスカウトされていた。このときは話を聞くうちに、芸能界に入ることに不安を感じて断ってしまったが、高校卒業後、地元で就職してからしばらくして、ふと、このまま鳥取を出ずに一生を終えていいのかと悩むようになったという。そこで思い出したのが、先のスカウトだった。

事務所の社長に連絡をとった彼女は、親には内緒で東京に行って話を聞くと、やはり芸能界に入りたいと思い、その足で不動産屋に赴いて都内のアパートの一室を借りてしまう。本人によれば自分は心配性で石橋を叩いて渡るタイプなので、あえて退路を断つためそうしたのだという。それから一旦鳥取に戻って反対する両親を説得したあと、本格的に上京して事務所に入り、デビューに向けて演技のワークショップに通い始めたのだった。それが22歳になる前後で、その1年後の2007年には俳優デビューを果たす。

バイトを掛け持ち、「美人店員」と話題に

デビュー作はテレビの特撮ドラマ『仮面ライダー電王』で、主演の佐藤健の姉役だった。レギュラー出演であり、筆者もリアルタイムで見ていてよく覚えている。同じ頃、深夜のバラエティ番組だかで吉本の芸人たちが、新宿の劇場近くにある鰻屋に美人の店員がおり、じつはそれは松本若菜という駆け出しの女優らしい……と話題にしていたことも思い出す。実際、デビュー当時の彼女は鰻屋でバイトをしており、その後は寿司屋やカフェなど何軒かの飲食店を掛け持ちしていた。

デビュー作で一躍注目を集めたものの、その後、24歳から27歳ぐらいまでは出演する機会になかなか恵まれない時期が続いた。たまにドラマなどに出てもほとんどが殺される役ばかり。自分が思い描いていた“女優像”とのあまりのギャップに、自分が女優とはおこがましくて名乗れずにいたという。

本業で収入が得られない以上、バイトを続けるしかなく、勤務先からは正社員にならないかと何度も誘われた。親からも鳥取に帰ってきたらと言われ、心が揺れ動くなか、それでもこのまま手ぶらで帰郷するのもいやで、芸能界を辞めようとまでは思わなかったようだ。

「これ一本でやっていこう」転機となった作品

そのうちに徐々に運が回っていく。2015年には時代劇映画『駆込み女と駆出し男』で、夫との離縁を求めて鎌倉の縁切寺へ駆け込む女たちの一人を演じた。舌を焼かれて口がきけないという壮絶な役どころで、監督の原田眞人からは厳しい指導を受ける。あまりの厳しさに挫折しかけたほどだが、完成した作品を見ると「やっぱりすごいな」と素直に思い、このときの経験のおかげで多少のことでは動じなくなったという(『週刊大衆』2017年2月27日号)。

さらにデビュー10年となる2017年に公開された映画『愚行録』では、殺人事件の被害者一家の妻役に起用される。劇中では妻について学生時代を中心に描かれたが、当時すでに30代だった彼女からすれば実年齢より10歳近く下の役とあってプレッシャーを感じながらも、若さを表現できるよう色々と考えて演じたという。

その演技が高く評価され、ヨコハマ映画祭の助演女優賞を受賞、大きな転機となった。のちに彼女は、《正直、賞とか自分に縁があるなんて思っていなくて、知らせを聞いた時は驚きました。でも今の私が認められ、私の芝居が評価されて賞をいただけたんだと思ったら、さらに腹が決まった。やっぱりこれ一本でいこう、って思いました》と語っている(『anan』2022年7月13日号)。

38歳でドラマ初主演を務める

そして38歳を迎えた2022年には前出の『ミステリと言う勿れ』『やんごとなき一族』のほか、Netflix配信の『金魚妻』、初の主演ドラマ『復讐の未亡人』、また映画『マリッジカウンセラー』(愛知県で先行公開のあと翌年に全国公開)と出演作があいつぎ、ブレイクするにいたる。『金魚妻』や『復讐の未亡人』では濡れ場もいとわない体当たりの演技も注目された。

ミステリと言う勿れ』の刑事役は、『金魚妻』の撮影現場で監督の松山博昭が雑談していた際、彼女から刑事役はまだ経験がないと聞き出し、「きっとクールで男勝りな刑事役がハマると思います」と返したことをきっかけに決まったという(『週刊文春』2024年11月14日号)。そんなふうに仕事が別の仕事へとつながっていくことも増えた。

「松本劇場」で大ブレイク

『やんごとなき一族』の義兄嫁役も、『金魚妻』のスタッフが「松本若菜が壊れるところが見てみたい」と指名してくれたという。同役は回を追うごとにエキセントリックさを増していき、その役名から当初「美保子劇場」と呼ばれ、さらには共演した松下洸平が「いやもう『松本劇場』だよ!」と言ったことから視聴者にも広まった(「マイナビニュース」2022年9月28日配信)。共演者をしてそう言わしめるほど、松本の演技は役を超えて本人と一体化していたのだろう。

このときから「遅咲き女優」としてネットニュースなどでもとりあげられるようになった。とはいえ、もともと人の目を惹く魅力というか花がなければ高校1年生にして芸能事務所からスカウトなどされないだろうし、デビューも根強いファンを持つ『仮面ライダー』シリーズと華やかなスタートで、当時のバイト先でも客のあいだで噂になるほど目立つ存在であった。そう考えると、ここまでブレイクまでに時間がかかったのが不思議なくらいだ。

もちろん、単にルックスがいいというだけで役がつくほど俳優の世界は甘くない。ただ、いまや俳優がブレイクするには、容姿とか存在感(いずれの要素もかつてのスターには欠かせなかった)など以上に、カメレオン俳優という呼称に象徴されるような役の振り幅の大きさが求められているのはたしかだ。おそらくそこにはSNSの普及も影響しているのだろう。松本がブレイクしたのも、本人の努力と経験の積み重ねに加え、そうした傾向にデビュー10年を経てようやく、そして見事なまでにハマったからだともいえそうだ。

思えば、彼女と同姓で、同じく1984年生まれの松本まりかも、10代の頃から多くの作品に出演してきたが、ブレイクしたのは30代に入ってからドラマで強烈な“あざとかわいい”女性を演じたときだった。

「私にできるのは、お気持ちに応えることだけ」

とかく濃いキャラを演じて注目されがちな松本若菜だが、他方で、2022年のブレイクを挟み大河ドラマにも出演している。しかもその役は、2020年の『麒麟がくる』では徳川家康の生母・於大の方、2023年の『どうする家康』では家康の最期を看取ることを許された唯一の側室・阿茶局と、奇しくも家康の人生の始まりと終わりにかかわる女性だったというのが面白い。阿茶局は戦場にも出陣する男勝りの女性として描かれ、存在感を示した。

昨年は、冒頭にも書いたとおり2クール続けてゴールデンタイムの連続ドラマで主演を務めた。だが、当人は舞い上がることなく、それができたのも《“松本若菜で”と思い切った考えを実行して下さった制作陣のみなさまのお陰です。私にできるのは、精一杯そのお気持ちに応えることだけだと思っています》とあくまで謙虚だ。

これは『週刊文春』前掲号の取材に彼女がメールで寄せた回答で、続けて《ブレイクとおっしゃって頂き有り難いのですが、実生活で大きな変化もありませんし、番宣でバラエティにお邪魔させていただいても『あっテレビで見た人だ!』と未だに思います》とも語っている。デビューから15年以上経っても芸能界に擦れることなく、新人っぽさを残しているのが微笑ましい。

職人のようにコツコツと工夫を積み重ねてきた

プライベートでは消しゴムハンコの制作が趣味で、SNSを通じてファンにもよく知られる。前出のフォトブックで彼女が扮していた大工は祖父と父の職業であり、祖母も手先が器用な人であったという。それだけに彼女も、欲しいものは自分でつくるのが当たり前という環境で育ち、子供の頃から手づくりが大好きだった。

上京後も、部屋のカーテンを100円ショップで買った布をパッチワークしてつくったり、小物や棚をDIYでそろえたりしていたとか。消しゴムハンコDIY精神が高じてつくり始め、趣味はさらに洋裁や刺繍、ワイヤーアートなどにも広がっている。ついにはマンションの一室に机や趣味に使う道具をまとめ、工作室にしたという(『週刊現代』2023年6月17日号)。

考えてみると、松本は俳優の仕事でも、スタッフの要望に応えるべく、職人のようにコツコツと工夫を重ねてきた。あの演技の振り幅の大きさもそうした気質の産物と考えると、「松本劇場」というよりもむしろ「松本工房」と呼びたくなる。

(近藤 正高)

41歳の誕生日を迎えた松本若菜

(出典 news.nicovideo.jp)

 

松本若菜さんの遅咲きのブレイク、本当に驚きです!彼女の演技は、年齢を感じさせない迫真のパフォーマンスで、特に「壊れるところ」を見せる瞬間には引き込まれました。彼女の勇気ある挑戦に拍手を送りたいです。

 

ピックアップ記事
おすすめの記事